マウイ島に戻る   トップページに戻る

ラハイナの史跡巡り(2013年)



 マスターズ・リーディング・ルーム → ボールドウィン・ホーム → パイオニア・イン →

 オールド・ラハイナ灯台 → コートハウス → バニヤンツリー → ウオーターフロント砦跡 →

 イギリス国教派教会 → ワイオラ教会 → ラハイナ本願寺 → ラハイナ牢獄 →

 ハレ・アロハ → マリア・ラナキラ教会  → 真言宗法光寺 → 煉瓦の宮殿 →

 ハウオラの石 → ウォ・ヒン博物館



 ラハイナの町には、19世紀の歴史を今に伝える史跡が多く残されている。そのほとんどが徒歩圏内に集中しているので、史跡巡りを楽しむことができる。

 「地球の歩き方リゾート」にモデルコースが掲載されているので、それを参考に巡ってみた。




1.マスターズ・リーディング・ルーム


 壁に珊瑚石を使った建物は、1834年に宣教師ボールドウィンが建てたもので、元は彼の書斎だった。それをラハイナを訪れる船乗りとその家族のために、読書室やコミュニティスペースとして提供していた。

 1970年に当時のまま復元され、現在はラハイナ復元保存財団のオフィスとして利用されている。


2.ボールドウィン・ホーム


 宣教師ボールドウィンとその家族が1830〜1868年の間住んでいた家である。ボールドウィンは宣教師の他、医者としても活躍した。そのため宣教活動の拠点の教会でありながら、医療所としても利用されていた。

 当時の家具やアンティークがそのまま残され展示してあるが、入場は有料となっている。
▲このページのトップへ
3.パイオニア・イン


 ラハイナの顔となっているホテルで、独特の外観と壁の色が一度見たら記憶に残る。1901年にオープンしたホテルは、現在も営業を続けている。外側からは見えないので気付かなかったが、中庭にはテラス席やプールがある。


4.オールド・ラハイナ灯台

 カメハメハ3世の初めての指令は、ラハイナ港に灯台を建築することで、これはハワイ諸島で最初に造られた灯台である。当時はクジラの油を燃やして点灯していた。現在の灯台は当時のものではなく、建て直したもの。残念ながら中に入ることは出来ない。
▲このページのトップへ
5.コートハウス


 1859年、捕鯨が盛んだった頃に、罪を犯した船乗りたちを裁く裁判所及び税関として建てられた。1階はギフトショップとして、2階はラハイナの郷土文化を展示した博物館として利用されている。

 庭にある大砲は、ラハイナ沖で沈没したロシア船から引き上げたもの。


6.バニヤン・ツリー

 キリスト教の布教50周年を記念して、1873年に保安官だったウィリアム・スミス氏が植えたもの。このバニヤン・ツリーはハワイで最大の大きさを誇る。 
▲このページのトップへ
7.ウオーターフロント砦跡


 1832年、海賊に対抗するために建造された砦は、珊瑚石で出来ている。その後1854年に取り壊されたが、1964年に復元された。砦に使用されていた珊瑚石は、ラハイナ牢獄を建てるのに再利用された。


8.イギリス国教派教会


 シンプルで可愛らしい建物だが、イギリス国教派の由緒正しい教会である。1862年に建てられ、その後1927年に改築された。祭壇に描かれた「ハワイアン・マドンナ」の絵が有名らしいが、一般の人でも見られるのだろうか?
▲このページのトップへ
9.ワイオラ教会


 カメハメハ大王の妃、ケオプオラニの要請でラハイナに来たリチャード牧師とスチュワート牧師の力添えによって、1828年に建てられた島内最古のプロテスタント教会。マウイ島の三大教会の一つにも数えられる。

 1832年にはハワイで最初の石造りの教会として建て直され、1952年に現在のコンクリート製の建物に造り替えられた。名前もエブニーザーからワイネエ教会(動く水)へ、そしてワイオラ教会(生命の水)に改名された。

 ここで結婚式を挙げる日本人もいるようで、ネットでこの教会を検索すると、ウエディング・プランの案内が多い。


10.ラハイナ本願寺


 1910年、マウイに移住した日本人によって建てられ、現在の建物は1927年に改築したもの。お寺としてだけでなく、日本語学校として日系人にはなくてはならない存在となっている。お寺の前には、親鸞聖人の銅像が建っていた。
▲このページのトップへ
11.ラハイナ牢獄

 法を犯した捕鯨船員を監禁した刑務所で、1852年に囚人自らが造った。ハワイ語で「監禁の家」を意味する「ハレ・パアハオ」とも呼ばれる。壁材に使用されている珊瑚石は、ウォーターフロント砦のものを流用している。1958年に焼失したが、翌年再建された。


12.ハレ・アロハ


 1836年、ワイネエ(現ワイオラ)教会の信者達が木材を購入し、学校の机や椅子、フローリングなどを自らの手で作った。1851年に暴風で建物は破壊されたが、ワイネエ教会により修復工事が行われた。

 また1853年には、オアフ島で発生した天然痘から逃れるための場所としても利用された。1858年すべての建築が完成し、ハレ・アロハと名付けられた。ハレ・アロハとは「愛の家」という意味。
▲このページのトップへ
13.マリア・ラナキラ教会


 1841年、ローマカトリック教のミサが初めて行われ、1846年にはここに木造のカトリック教会が建てられた。現在の建物は1928年に改築されたものだが、ヨーロッパの教会らしい美しい造りとなっている。


14.真言宗法光寺

 日本からの移民たちはプランテーションでの過酷な労働に耐え、環境、言語、文化が違うハワイで生き抜くために、弘法大師像を祀って心の支えとしていた。

 1902年、真言宗の僧侶であった湯尻法眼師が各地に祀られていた大師像を合祀し、10フィート四方の家を借りて大師堂とした。これが法光寺の基であり、ハワイの真言宗寺院の中で最も歴史が古い。

 1926年11月3日、京都醍醐寺から「馬哇山(まういさん)法光寺」と寺号公称を認可され、正式に寺院として布教活動が始められた。常に日本から開教師を迎え、弘法大師との同行を続けている。現在の本堂およびホールは、1952年の法光寺開創50周年の記念事業として建立されたものである。
▲このページのトップへ
15.煉瓦の宮殿


 1800年頃に建てられたハワイで最初の西洋建築で、煉瓦を使った2階建ての家屋は当時としては画期的なものだった。残念ながら1870年頃に崩れてしまい、今は土台しか残っていない。

 カメハメハ1世の命で建てられたが、王は1802年のたった1年しかここで暮さなかった。それはカアフマヌ妃が、この宮殿に住むのを嫌がったからだ。


16.ハウオラの石


 ラハイナ港の岩壁の先、海の中にある魔法の石は、ハワイでも有数のヒーリング・スポット。14世紀から15世紀頃、古代ハワイアンの貴族階級の女性が出産を行った場所である。

 ハウオラとは、ハワイ語で「長寿」や「健康」という意味。海に向かってこの石に座り、寄せる波に足を洗わせると、病気やケガが治ったと言われている。


17.ウォ・ヒン博物館(致公堂)

 1912年、中国人移民が建てた道教信徒のお寺であり、彼らの社交場としても利用された。1983年に修復され、現在はミュージアムとして公開している他、中国人友愛組合の支部でもある。

 プランテーション時代の生活ぶりが伺える資料や、屋根裏から見つかった工芸品など、貴重な展示品が多い。敷地内の別の建物では、発明家のエジソンが1898年と1906年に撮影した、ハワイの貴重なフィルムが公開されている。



▲このページのトップへ
 マウイ島に戻る   トップページに戻る