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“天国のハナ”と秘境東マウイ一周アドヴェンチャー(2010年)



 ホオキパ・ビーチ → ケアナエ半島 → ナヒクのフルーツ・スタンド → ハナ・ベイ・ビーチ →

 ハセガワ・ジェネラルストア → ワイルア滝 → 路傍のマリア像 → プールス・オブ・オヘオ →

 リンドバーグのお墓 → ワイユの丘 → マナワイヌイ峡谷 → テデスキー・ワイナリー





 今回参加したツアー会社は、「プアラニ・アドヴェンチャーズ」である。ゆり吉の友人ご夫妻が参加されると聞き、一緒に申し込んでもらった。日本語ツアーは毎日ではなく、月曜日、水曜日、金曜日の週3日だった。

 ツアーガイドは、リンコさん。いろいろな話を聞かせてもらったが、特に植物について詳しく、とても勉強になった。(あまり覚えていないけど) そして、とても楽しい1日が過ごせたことを、感謝している。


 私達をカアナパリで6時過ぎにピックアップ、友人夫妻をワイレアで7時過ぎにピックアップし、まずはカフルイのパン屋さんで朝食を頂いた。カットされた数種類のパンが盛られた大皿と、同じくカットされた数種類のフルーツが盛られた大皿があり、自由に取って食べる。飲み物はコーヒーやジュース類が置いてあった。ゆっくり食べている時間はないので、しっかり食べたい人はツアーの前に食べておいたほうがいい。車内での飲食は、厳禁である。理由はアリが入ってくるから。


1.ホオキパ・ビーチパーク


 まず向かったのが、ホオキパ・ビーチパークである。本日の天気は曇りで、途中雨も予想される。ここはウインド・サーフィンの聖地である。

 ホオキパ・ビーチはマウイ島のノースショアに当たり、オアフ島同様に冬には高い波が押し寄せるので、サーファーが集まるビーチとして有名だ。風が良い日には、ウィンドサーフィンを楽しむ人も多い。ちなみにホオキパとは「歓待」の意味である。

 ホオキパを出発すると間もなく雨が激しく降ってきた。ハイク辺りは雨の多い場所らしい。カフルイからハナまでは約83kmだが、2時間半から3時間かかる。理由はカーブが617もあり、56ある橋のほとんどは車が1台しか通れないからだ。まさにドライバー泣かせの道路である。
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2.ケアナエ半島



 ハナ・ハイウェイを離れ、細い道を走ると海岸へ出た。ここはケアナエ半島といい、カフルイからハナまでのほぼ中間に当たる。教会があるだけで特に何もない場所だが、トイレ休憩のため立ち寄った。

 この半島はハレアカラの噴火時に流れ出た溶岩が固まって出来たので、海岸線は真っ黒な溶岩で縁取られている。「日本でもこういう風景は、よくありませんか?」とガイドさんが言った。私はワイピオ渓谷に少し似ていると思った。(まだ渓谷内へ下りたことはないけど)

 ここには今もハワイアンが住んでいて、タロイモを栽培している。タロイモ畑を高い場所から見下ろすと、日本の田園風景とよく似ている。
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 ハナまでの道中には30以上の滝がある。雨が降ったおかげで、どこも濁流だ。滝の前では必ずといっていいほど、ツアーのバンとレンタカーが停まっている。日本人にとって滝は珍しくないのだが(大瀑布は別だけど)、アメリカ人には滝を見たことがない人がいて、珍しいのだそうだ。


3.ナヒクのフルーツ・スタンド


 次に寄ったのが、ナヒクにあるフルーツ・スタンド。ハナ・ハイウェイ沿いの左側にある。ここではココナッツのお菓子や、アップル・バナナを試食をさせてもらった。皆さん、ココナッツ・チップスをお土産に買っていた。

 もう一つ、珍しいものを食べさせてもらった。それはパンノキの実を蒸したものだったが、栗やサツマイモに似た味がした。日本人には親しみやすい味だと思った。(写真左)
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4.ハナ・ベイ・ビーチ



 いよいよハナの町へ到着。ホテル・ハナ・マウイのコテージの間を通り、ハナ湾へと下りて行った。晴れていたならきっとキレイなビーチだろうが、曇っていると日本のビーチとあまり変わらない。山手にはライアンの丘があり、大きな十字架が立っている。これはハナの救世主、ポール・フェイガン氏の功績を記念して建てられたものだ。

 1940年代、サトウキビ産業が衰退し、ハナは経済不況に陥った。この窮地の立て直しに一役買ったのが、引退したサンフランシスコの起業家のポール・フェイガンだ。

 この頃、たまたま訪れたハナで職を失った人々を見たフェイガンは、モロカイ島から牛を運び、ハナ牧場を開設。さらに大の野球ファンであった彼は、地元サンフランシスコの野球チームが合宿ができるように寄宿施設を建設し、人々の働く場所の創出に努めた。

 フェイガンの尽力でハナの暮らし向きが向上し、現在のハナの姿が作られていった。実はホテル・ハナ・マウイも、フェイガンが1946年にオープンした「カウイキ・イン」がはじまりだ。

 ハナ湾を見ながらのランチタイムとなった。朝注文を聞かれ、3〜4種類の中から各自選んだサンドイッチとジュースである。風が強く、テーブルクロスごとサンドイッチが飛ばされそうで、写真を撮れる状況ではなかった。
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5.ハセガワ・ジェネラル・ストア


 食事の後、ハセガワ・ジェネラル・ストアへ行った。外観はお世辞にもキレイとはいえないお店だが、店内にはありとあらゆる物が置いてある。なるほど、TVで見た通り、ハナの人々の生活に必要な物が何でも揃っていた。観光客に人気なのはオリジナルTシャツで、日本人なら特に長谷川さんへのお土産に最適だ。

 ハセガワ・ジェネラル・ストアは、広島から移民してきた長谷川兄弟が、砂糖キビ農園との契約が切れた後もハナにとどまり、1910年、現在の店の前身となる雑貨店を開いた。

 ところが20年前に火事になり、ホテル・ハナ・マウイの倉庫を借りて営業を再開。だから現在の店は、歌にも歌われている店ではない。しかし、元の場所に移転するという噂があるようだ。
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6.ワイルアの滝


 ハナの町をあとに8kmほど行くと、2段に分かれて流れ落ちる見事な滝がある。ワイルアの滝は、ハナ・コーストで最も美しい滝と言われ、落差は30mある。

 滝の横には露店が出ていて、ここには名物おじさんがいる。彼はヤシの葉で帽子やバッグ、鳥や花などを素早く編んでしまう達人。冷やかしで眺めていると、ヤシの葉でバラの花を作ってプレゼントしてくれることもある。

 早速冷やかしていたゆり吉は、ラッキーにもバラのブック・マークをもらっってしまった。おじさん、Mahalo!
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7.路傍のマリア像

 さらに5kmほど進むと、右側に「路傍のマリア像」がある。これは車窓からの見学だが、人気のない道端の窪みに安置されている。なぜこのような場所にマリア像が? ここからが貴重な話ですよ。

 “ある教会に祀ってあったマリア像が盗まれてしまった。ところがある日、この窪みに置いてあるのが見つかった。元々祀ってあった教会へ戻したが、また盗まれこの場所へ。そういうことが何度か繰り返された末、教会へ戻すことを諦めてこの場所へ安置することになった。”

 多少違うかもしれないが、大筋はこんなところだったと記憶している。ガイドブックにも書いてないし、ネットで調べてもなかなかこの逸話は見つからない。
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8.プールス・オブ・オヘオ



 さらに進むと橋を渡る。この橋の上から見下ろした場所がプールス・オブ・オヘオ(7つの聖なる池)である。古代ハワイアンが禊(みそぎ)をしたという聖地である。たまに小さな滝に打たれたり、泳いでいる人がいるようだ。

 橋の付近は駐車できないので、もう少し先にある駐車場に車を停めて引き返すしかない。または駐車場から海岸に出て、下から橋の方を逆に見ることもできる。私たちは植物を見ながら、10分ほどのハイキングと称して海岸まで歩いた。

 自然の浸食作用で出来た池は7つと言いながら、実際には24あるらしい。橋の上から見ると24の池が連なって見えるのだが、この日は雨で増水し、普通の川にしか見えなかった。しかし海側から見ると、滝が何段も連続したように見える。私は下からの眺めの方が、見応えがあると思った。

 駐車場にはビジター・センターや、トイレがある。
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9.リンドバーグのお墓



 次に立ち寄ったのは、アメリカの英雄「チャールズ・A・リンドバーグ」の墓である。海の近くにパラパラ・ホオマウ教会が建っていて、敷地内の海の見える場所に彼の墓はある。

 教会から海の方へ歩いて行くと、リンドバーグと親交のあった、航空会社パンナムの副社長夫妻の墓がある。そこから少し離れた場所に、リンドバーグは眠っている。

 リンドバーグは飛行家で、1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した。続いて1931年には、北太平洋横断飛行にも成功した。

 彼は冒険家飛行士としての栄光、民間航空会社の調査パイロット時代の活躍、環境保護活動などへの情熱など、ドラマティックな人生を歩んだ。

 リンドバーグは「かつて訪れた、どの地よりもハナは美しい」と感動し、キパフルに土地を購入して別荘を建てた。彼は晩年をハナで過ごし、愛するハナで生涯を終えた。

 リンドバーグは商業飛行、旅客事業にも力を注ぎ、おかげで今我々が海外旅行を楽しむことができる。美しいハワイへ来れるのも彼のおかげと感謝して、この地をあとにした。
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10.ワイユの丘


 やがて未舗装の道路となり、この辺りがちょうどハレアカラの南側に当たる。まだ草木は茂っていたが、ハレアカラの山頂付近は雲に覆われていた。

 次はワイユの丘で停車し、海の方へと草原を歩いた。周りは牧場のため、牛の糞がいたるところへ落ちているので注意。

 俗に「パノラミック・ヒル」と呼ばれていて、この丘からの見晴らしは雄大だ。特に右手に見える、ハレアカラ南面のスロープは美しい。左右に広がる水平線は、思わずパノラマ写真を撮りたくなる。私はムービーで流し撮りをしたが。
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11.マナワイヌイ峡谷


 この辺りは雨が少ない場所なので、木もなくなり枯れたような草しか生えていない。次は別名「リトル・キャニオン」と呼ばれるマナワイヌイ渓谷を見学。

 約90万年前、海底火山が海上に現れ、たび重なる噴火活動によって大きな台地を造った。その後、今度は風雨の浸食作用によって島全体が少しずつ削られていき、現在の姿になった。水の偉大な力を見せつけられた感じだ。

 峡谷とは、渓谷の幅と比較して更に深い谷のことである。両側が切り立った急峻な崖になっており、谷底は平らな部分がなく、狭くて急な谷である。V字谷ともいう。一方渓谷とは、谷・谷間のことで、両側が台地や山に挟まれて低くなってくぼんだ地形になっており、細長いひと続きの場所である。
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12.テデスキー・ワイナリー


 いよいよ最後はテデスキー・ワイナリーでのワインの試飲。「いよっ!待ってました」 パイナップルから造られる「マウイ・ブラン」など白3種類、赤1種類の、計4本を試飲させてもらったが、ワイン好きな私達の好みではなかった。

 ワインは買わず、ここでしか買えないというパイナップル・ワインを使って作った、マカダミアナッツ・チョコレートをお土産に買った。しかも珍しいホワイトチョコレートである。

 このワイナリーでは、カリフォルニア出身のエミル・テデスキー氏と、ウルパラクア牧場のオーナー、パーディー・アードマン氏が共同で、1947年からぶどう栽培とワイン醸造に取り組んでいる。テイスティング・ハウスは、昔は牢屋として使われていたという石造りの建物である。


 ワイナリーを後に、ホテルへと向かった。今日は途中雨の降る天気だったが、幸い車を降りた時には雨が降らなかった。晴れていたならもっと素晴らしい景色だったろうが、それでも初めて見る東マウイは見所満載だった。「いつか晴れた日にもう一度行けたらいいな」、と思った。



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